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平成27年3月に入会された尾 由一朗君。一般社団法人の代表を務める傍ら青年会議所のメンバーとして、副専務や委員長という要職を歴任されてきました。気持ちの根底にあるのは『テニス』から生まれた数々の経験。「挑戦していくことの面白さを見つけた。」という尾君に、人生に大きな影響を与えたエピソードや、青年会議所で運動をしていくことに対しての価値観、次代を担うメンバーに対してのお話を伺いました。


皆で新たな可能性を創造して、自分たちが動きやすい組織にしていきたい―


―本日はよろしくお願いいたします。まずは、現在のお仕事の状況について教えてください。

現在は一般社団法人 パワーオブスポーツの代表を務めております。テニス教室の運営とコーチ業をメインで行っています。 府中の総合型スポーツクラブ、羽村の総合型スポーツクラブ、民間のテニススクールやプライベートレッスンをメインに未就学児から、シニア層まで幅広く皆さんに対してテニスレッスンを行っています。

現在の一般社団法人を立ち上げるまでは、業務委託の形で3か所程のテニススクールで雇われ講師を行っていました。委託を受ける立場だとなかなか自分の思うように出来なくて、「もっと地域に密着してテニスを盛り上げていきたい」という気持ちをもってレッスンを行いたかったんです。そこで自分で法人を作ってしまえば、自分の考えで仕事が出来ると考えるようになり、今の形になりました。



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―ずっとテニスに携わってきたんでしょうか?

 小学校3年生からずっとやってきて、中学・高校も部活でテニスを続けてきました。大学の在学中もバイトでやれることは何だろうと探したらやはり自分にはテニスしかないな、と。テニススクールのバイトをしようってなりました。テニス尽くしです。

 そのまま大学4年生になり、就活をしなければとなって就活をしました。当初は、大学出て体育の先生になりかったんです。ただ、今後は高齢化社会になっていくことを見据えて葬儀会社の採用試験を受けたりもしました。最終面接近くまでは進んでいたのですが、途中でなにか違うな、という思いが強くなって、結果的にはバイト先のテニススクールに就職してしまいました。テニスは楽しいけど、テニス好きが高じての就職でいいのか?っていう疑問は若干持っていました。




―テニススクール時代で心に残ったエピソードを。

 先輩ですごいアクティブな方がいて、やりたいことを実現させてしまう方がいたんです。元々若干頼りない先輩だったんですけど、自己啓発を行うセミナーに行き始めたら一気に変わっていきまして。お客さんからの信頼は上がり、仕事も前向きになって凄いなと思っていたら、急に「六本木の一流ホテルで働きたい」って言われまして。

 結果、何をやったかっていうと、ホテルに実際に出向いて行って、相手方の企業の方と仲良くなったりして、結局オープニングスタッフとして入られたのです。やろうと思ったらやってみないとダメなんだな、とその時に思いました。

 そういった姿を見て学んで、自分ももっと頑張ってみよう、と。色んな方に会ったりしていたら、深夜の番組に急に出ないかって話が来たんですね。勢いで出させていただきまして、その後同じ系列の『笑っていいとも』にも出演オファーが来て、急に芸能人気分っていう勢いになってしまったことを覚えています。テレビ出演自体は、殆ど爪痕を残せなかったんですけど、その時にヨガトレーナー、フィットネストレーナーの方々と知り合うことが出来たのが自分の最大の転機になりました。



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―最大の転機とはなんでしょうか。

 そこで出会えたトレーナーの皆さんって基本個人事業主の方が多かったんです。今でこそ有名になっているスポーツ系芸能人の方もいまして、話の内容が濃くて、自分で考えて自分のやりたいことを形に出来ていて凄いなと思いました。その場を通じて挑戦していくことの面白さを見つけて、テニスコーチっていう枠の中でやっていた自分に対してモヤモヤし始めたんです。このままじゃだめだな、と。

 そうして気付いたら会社員をやめてました。何が一番やりたいって、スポーツを広めたい。テニスが楽しいことを知ってもらいたい。それを行うにはどうすればいいのかを模索しようと思ったのです。自分が有名になって、芸能人になって発信したら広められるかな、と思い芸能人を志したこともありました。ただ、最終的には身近なところから広めたい、府中の地域に根差した活動をして発信していこうってことで法人を作ることになりました。

 NPO法人か一般社団法人を作ろうと思いまして、ただどうやって作っていいのかわからないじゃないですか。その時に相談をさせていただいたのが『NPO法人 野外遊び喜び総合研究所』の中島理事長でした。「府中の地元でやるなら青年会議所に入った方がいいよ」と紹介をいただきました。



―そこで青年会議所に繋がるんですね。

 目的が法人の設立だったので、青年会議所という地元の団体に入るというのは、最初は拒否気味でした。ただ、府中で活躍する企業の社長の方々や、『府中の繋がり』が生まれるから、是非入った方がいい、と強くご紹介をいただいたことを覚えています。「それでは、入ります」って伝えたら、そのまま勢いで賀詞交歓会にお誘いいただきました。



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―入ってみてからの感想や活動はどうでしたか。

 入った時の担当委員会が会員交流委員会だったんですね。会員交流ってことで、全国大会やクリスマス例会が担当だった記憶があります。この年のOB合同例会がOBの方々に対して、現役の各委員会が出し物をするという企画だったんです。新入会員委員会ではAKBのコスプレをして、ミニスカートを履いてダンスをしていた、という感じでした。

この時、会員交流委員会が自分一人しか出席しておらず、これはもう絶望しかなかったです。私の持ちネタとしてはテニスしかないんですけど、テニスの出し物なんて誰かにサーブを撃つことぐらいしか出来ないじゃないですか。挙句、見かねた理事長から流石に「やらなくていいよ」って言われましたね。

 今から思えば、この年の新入会員委員会のおかげで今日まで青年会議所が続けられたなって思います。当時は青年会議所の議案とかよくわからず、「やりたいことやっていいよ」とは言われるけど、実際に議案を出したら「もう少し気楽な内容をやろう!」と突き返されました。そう言われてしまうと改めて組みなおすのは難しいなと思いながら、議案を通すことに悪戦苦闘していたことを思い出します。結果としては、色んな青年会議所の例会に自分達で参加して、取材をして発表しようっていう企画になりました。今でこそ、この議案の大切さもよくわかるんですけど、当時はなかなか慣れないものでした。





―尾君といえば担当委員会で、2020年の府中応援ソングを手がけました。

 2020年は元々4月に『ボッチャ』に関わる例会を、10月に『人生ゲーム』を模した例会をやろうとしていたんです。ところがコロナが流行って4月例会が中止になってしまい、10月の人生ゲームも実施が難しい状況になってしまいました。自分自身もコロナで仕事とかも立ち行かなくなりまして、スクールとか教室も全部閉鎖状態で、そんな状況で青年会議所の運動どこまで出来るかなって状況でした。

 ただ、逆にこんな状況だから何か出来ないか、ってことで皆の心を一つに出来るものを作りたいなって思ったんです。当時の委員会メンバーが本当に力になってくれまして、市の許可のことを全部やってくれるメンバーや、議案を一から手掛けてくれるメンバー、動画撮影や動画編集等をすべてやってくれるメンバーがいて、担当副理事長もこの例会の実施に向けて関係各所に働きかけてくれました。理事長、専務も是非形にしていこうって声かけてくれて、あの雰囲気がなければ作れなかったと思います。

 こうして出来た府中応援ソングでしたが、自分としてはPRの部分でどうしても悔いが残っています。ずっと使われるような仕掛けが足りなかったな、と感じています。

どうしても青年会議所って単年度制ってこともあって、年度が変わってしまうと担当していた委員会も責任を負う場が無くなってしまいます。合唱曲用のアレンジ等にも挑戦したかったですし、府中市に寄贈したテーマソングとして折に触れてプッシュしていける形を構築したかったなと思います。もっと色んな形で使っていっていただければと思います。



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―他の年度等、これまでの青年会議所を振り返って思い出はありますか。

 2016年は青少年委員会と、東京ブロックでアカデミーの出向を行いました。2017年は副専務理事、2018年は50周年準備の委員会と、2019年は50周年の記念誌担当の委員会でした。

 青少年委員会ではわんぱく相撲がメインでしたので、ずっと相撲を見てきた1年間でしたね。都大会の運営もあったので、本当に慌ただしかったのを覚えています。わんぱく相撲以外では、秋に多摩川でカヌーに乗る例会を計画していたんですけど、台風で流れてしまったのです。是非やりたかった例会なので、今後の青年会議所でチャンスがあれば企画して設えてほしいなと思います。

 アカデミーでは福島に行く機会がありました。福島の第一原発など、一般の方ではなかなか訪問することが難しい場所まで行けて、「青年会議所ってすごい力があるんだな」と思ったものです。アカデミーって横の繋がりを作る場で、この時同期だった方が近年の理事長を担当していて、パワーがある人はどんどん活躍していくんだなと思いました。

 2017年は副専務理事で、卒業式の実行委員長。ちょうど、プライベートの方で結構きついことがあって、そんな中でも何とか設えをしないといけなかったし、当時の専務にはとても迷惑を掛けたことを覚えています。

2018年、2019年はむさし府中青年会議所の50周年記念事業ですね。周年準備委員会と周年委員会を担当しました。周年事業はゴールの形がよく見えてこなくて、動画とかも何をプロモーションするのか、といったところで議論したことを覚えています。動画とかって、感性によるものも大きくて、皆が納得する作品なんて作れないと思うんです。

クリエイターが作る作品に100%はなくて、その中でも皆で良いプロモーションを模索するんだから、それは揉めるよね、となりました。でも、この時の経験が府中応援ソングの動画に繋がってきたのかなと思います。



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―青年会議所に対して、メンバーに対して最後に一言お願いします。

 2021年はコロナの影響もあり、休会という形で1年間休ませていただきました。今年が卒業年ということもあって、休会状態で終わりにするのは嫌だなと思い、改めて青年会議所の運動をしていきたいと思います。

 1月に事務局に行きました。拡大担当のE&E委員会が委員会をやっていて、拡大のことや例会のこととか本気で考えていて、なかなか自分は拡大のことを考えることはなかったけど、一緒に考えさせられる機会となりました。本当にこの今の状況での拡大って難しいなと改めて思いましたね。

 また、この状況下における青年会議所の在り方をこれから考えていく必要があると思いました。コロナの状況下での例会を設えるってすごい難しいなと思います。青年会議所の議案って3か月〜4か月前から例会に向けて計画していくから、イレギュラーなことがあると破綻してしまいますよね。コロナが落ち着いたから皆が集まれる例会をやろうとしたら、再度感染拡大している可能性だってあるし、逆のパターンだってあるじゃないですか。柔軟に対応出来る組織になった方が良いはずなんだけど、そうしたら青年会議所の在り方とも少し変わってきてしまう部分がどうしても発生してしまいます。

 そんな中でも今年の平田理事長は、あり方を変える、新たな可能性を創造するってことに挑戦しようとしています。メンバー皆で一体となって新しいやり方を追及してほしいと思います。自分もその為にしっかりと意見出していきたいなと。本当、今は色んな課題があると思うので、自分たちが動きやすい組織にしていくべきだな、と考えます。



―本日はありがとうございました。

 泣いても笑っても最後の卒業年になるので、何とか1年間、気持ちを伝えていきたいと思います。ありがとうございました。



尾 由一朗(おざき ゆういちろう)君

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